【絶望】トイレが私の「コクピット」だった。S2000を降り、便座に縛り付けられた地獄の6日間

黒背景に黄色の文字で「トイレがコクピットだった。」と書かれたノロウイルス闘病記のアイキャッチ

オープンカーの開放感を愛し、愛車S2000で風を切る。そんな「強気な男」の日常が、たった一つのウイルスによってここまで無惨に、かつマヌケに崩壊するとは誰が想像しただろうか。

結論から言おう。私は敗北した。 対向車のヤエーに応えていたあの時の笑顔は消え、私は数日間、自宅の便座という名の「バケットシート」に縛り付けられていたのである。

■ノロという名の「最速の刺客」をなめていた

正直、私はノロウイルスをなめていた。「腹を壊す程度だろ? すぐに治るさ」と。だが現実は非情だ。発症から完治まで、結局丸6日間を要した。会社も3日間、戦線離脱である。

普段、健康体だけが取り柄の私が、自宅の天井を見上げながらこう悟った。「ああ、これが病気なんだな」と。上からも下からもとめどなく溢れ出す、正体不明の「薄い茶色の液体」。私の体内は、オーバーヒートしたラジエーターのように制御不能に陥っていたのだ。

■「家庭内別居」という名の孤独な耐久レース

発症直後、妻から下された命令は冷酷かつ絶対であった。

「自分の部屋から一歩も出るな」

私の移動範囲は、自室とトイレ。以上。まさにクローズドコースである。部屋の外からは、子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。しかし、私にはそれに応える気力も、部屋から出る権利もない。

洗濯物は別。食事の接触もなし。同じ屋根の下に暮らしながら、私は「別の家族」として隔離された。子供の声が聞こえるたびに、トイレの個室で私は思った。「なんて無駄な時間なんだ……」と。

■OS-1という名の「高級オイル」を求めて

この耐久レースの相棒は、ポカリスエットのみであった。 ロジカルに考えれば、脱水症状を防ぐには「OS-1」こそが最強の補水液(オイル)であることは明白だ。だが、あいにく自宅に在庫はない。

そして、隔離中の私に妻は言った。「買いには行かない」と。……絶望である。私はただひたすらにポカリスエットを啜り、腹の中の「茶色い水」が枯れ果てるのを待つしかなかったのだ。

■3月8日 10:00、ついにチェック旗が振られる

変化が訪れたのは、3月8日の午前10時頃だ。 ついに、あの忌まわしき茶色い水が出なくなった。6日間に及ぶ孤独なデッドヒートが、ようやく幕を閉じた瞬間である。

この闘病生活で得たものは何か? それは「4kgの減量」である。 S2000でいえば、ちょっとしたパーツの軽量化に近い。いや、ドライバー自身の軽量化こそが、サーキットでは最もコストパフォーマンスが良いとされる。……などと、強がってみるものの、中身はボロボロなのだ。

■次なるミッション:バッテリー交換

ノロという最悪のピットインを終え、ようやく私は戻ってきた。次なる課題は、S2000のバッテリー交換だ。実は前回走行時に怪しい兆候があったのでバッテリーは交換しなければいけない。

しかし正直、私は整備が得意なわけではない。むしろ不慣れだ。だが、ノロの地獄に比べれば、重いバッテリーを運ぶことなど、VTECの加速に比べれば造作もないこと……だと思いたい。

病み上がりの体にムチを打ち、一生懸命頑張るつもりだ。 トイレのレバーではなく、ラチェットレンチを握る喜びを噛み締めながら。

さらばノロ。二度と私のコクピット(便座)に招待するつもりはない。

この記事を書いた人

製薬会社で論理(ロジカル)を武器に生き残る中年サラリーマン。だが、一歩会社を出れば、絶滅危惧種のオープン2シーター「S2000」を愛でるただの変態である。

20年以上の付き合いになる相棒の維持費に悲鳴を上げ、三井ダイレクトには門前払いされ、夏は家族から「走るサウナ」と罵られる日々。それでもVTECが弾ける瞬間、すべての苦労は「至高の悦び」へと昇華するのだ。

このブログでは、そんな「愛」と「工夫」で名車と心中する男のリアルな軌跡を、嘘偽りなく書き綴る。

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