最初に言っておく。この車は「合理的」の対極にある。
「論理的(Logical)」を掲げるこのブログだが、S2000という存在だけは、俺の人生において最も『非論理的』な選択だった。
製薬会社の1社員として、普段はデータを重んじる俺が、なぜあえて「不便の塊」をガレージに収めたのか。10記事目という節目に、その残酷なまでの対価と、抗えない報酬を整理しておこうと思う。
【絶望】失ったものは、あまりにも多い

正直に書こう。この車を手に入れてから、俺の人生からこぼれ落ちたものは枚挙にいとまがない。
- お金と時間:維持費、パーツ代、そして洗車という名の修行。俺の通帳と休日は、常にVTECというブラックホールに吸い込まれている。
- 実用性の完全な喪失:俺の家族は5人だ。だが、この車は2人しか乗れない。「あと3人はどうするんだ?」という問いに対する答えは、未だに見つかっていない。
- 快適さの拒絶:うるさい。狭い。荷物は載らない。
- 周囲からの冷たい視線:爆音を響かせて走る姿に、近所や親戚から注がれる視線は、もはや「氷点下」だ。
普通の人間なら、ここで「売却」の二文字が頭をよぎるだろう。だが、俺は普通ではない。なぜなら、これらすべてを投げ打ってでも手に入れた「光」があるからだ。
【覚醒】得たものは、人生を変える「快感」だった

失ったものの代わりに俺の手元に残ったのは、「生きている実感」そのものだ。
- 「最高のおもちゃ」という定義: ただの移動手段じゃない。屋根を開け、9000回転まで回るF20Cの咆哮を鼓膜で直接受け止める。その瞬間、脳内に溢れ出すドーパミンは、どんな薬学的なアプローチよりも速効性がある。
- オープンカーという新世界: 「屋根がない」ことが、これほどまでに世界を広げるとは。風、匂い、空の近さ。経験しなければ分からなかった、圧倒的な解放感がそこにはあった。
- 唯一無二の所有欲: こんな尖った車はなかなか現れない。「人とは違う、狂ったものを手なずけている」という感覚。それが、俺という人間を形成するアイデンティティの一部になったのだ。
結論:この車は「劇薬」であり「希望」だ
S2000は、欠点だらけだ。だが、その欠点すらも「個性」として愛せてしまう。 誰に何を言われようと、俺はこの「最高に不便な相棒」と、人生のコーナーを駆け抜けていく。
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「さて、記事も書いたし、今日もS2000のエンジンをかけて、この開放感を……」
と、思った瞬間に背後に気配を感じた。 そこには、妻と子供たちが、仁王立ちで俺を睨んでいた。
「パパ、今日のご飯買い出し、どうするの? その車、ネギ1本載せたら定員オーバーでしょ?」
……。 どうやら俺が「人生の輝き」を得る一方で、家族からの「信用」という最も大切な資産を、全損レベルで失っていたようだ。
輝くボディに映る、俺の情けない顔。 よし、今日はS2000をガレージに封印し、ステップワゴンのハンドルを握って、スーパーの特売品を積めるだけ積んでくることにする。
VTECの加速より、妻の怒りの加速の方が、よっぽど恐ろしいのだから。






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